しあわせは瞬間じゃない身に付けるもの
どうも。なぶです。
なむです。
今回はなんかうさんくさい話ですね。
うさんくさくなんかないのに!
でも、わたくしがうさんくさいな~って思っていた
この手の書籍や話みたいな話これから自分が話すと思うと過去の自分が見たとき驚くことでしょう。
考え抜いてある日突然に
人を喜ばせる(幸せにする)意味が分からなかった
わたくしはよく「人を喜ばせること」を口酸っぱく身近な人に説かれていました。わたくしはそのころ21歳だったため、理解したいと、理解しようと、していました。それに「人を喜ばせること」が真理なんだとわかっていました。しかし、この身に染みるように「人を喜ばせること」の大事さがわかりませんでした。
そのまま月日は流れ1年。
この1年はずっと、「人を喜ばせることの大事さ」を考え抜いていました。その手の書籍を読むと一旦は納得するものの時間がたつとその気持ちが薄れていきました…。
「人を喜ばせることができる人」は元からそうなんだ…と落ち込みました。
そのころ、さまざまな書籍に触れたり、人生の足踏みや地団駄を踏んでいました。
「しあわせ」についても考えるようになりました。
ある様々な書籍で自分の新たな考え方がくわわり、「しあわせとはなにか」という考えが急発展していきます。
自分はもう完璧な存在
なんかこういう小見出し嫌いなんですけど、
だってなんかの勧誘とか怪しいやつみたいじゃないですか。
だけど、いろんな文学とか古典とかまあ新書とかも読んで、一通り言っていることが一貫してたのですね。そして、出会う人からもそうした同じことがやはり学べました。
それに自分を突き詰めまくっていたら、なんだかわかったんです。
おそらく、共感する10代20代かなり多いと思います。
なにかというと、
ヒマだから、とりあえず悩んでいるんですね。
そんなことない!行きたいところがあってもお金が!とか好きな人に振られた!とか
不倫しています…とか、まあ病気とか外見の悩みとかはなんともいえないですけど、
まあたいてい「すきなことがわからない」「なにをしようかわからない」っていう類の悩みを抱える人はヒマなのですね。
上のような悩みを持つから、「つまらない」「人生これでいいのかな」「しあわせになりたい」とか考えるのです。
といっても、人の悩みというのはデリケートな問題ですから、すべての人をさしているわけではありませんし、自分自身のことでもあります。
多くの人が「しあわせになりたい」と思っています。
ですがどうでしょう?大体の人は日本に生まれただけでもしあわせなのでは?
ヒマすぎて、自分が完璧すぎて、自分の中になにかたりないものをつくりだそうとする。そして、今度はそれを得ようと奮闘する。手に入ったら快楽、入らなかったらふしあわせ、みたいにです。
その手に入れたいものって
・自由
・富
・名声
・優越(美貌やステイタスによる)
・物欲
なんですね。この欲って本当に大事!なんです。
大事!大事だけど。
「しあわせになりたい」に話を戻すと
この、とくに物欲や優越、富、名声ってそもそも手に入っても上には上がいるんですね。「人と比べなくていい」といわれるかもしれないけれど、そこをめざしたら、きっとどこかで「ヒマ」が生まれます。そうするとまた何かを追い求めます。
物欲も優越も一時的なものです。
しあわせは瞬間じゃないみにつくもの
しあわせっていうのは体感だけど身につくものだと思っています。
物欲みたいなのが一瞬の幸せ感だから、しあわせは瞬間だ、なんていわれるのです。
自分が常にもう足りている完璧な状態だとすれば、あとは、人にしあわせをあげればさらに強いしあわせを感じることができるのです。
もう物欲もなにもかも足りている、じゃあヒマになる、あぁどうしようか、「人をしあわせにしてみよう」あぁしあわせっと言った感じなのですが、
ことばで伝えるのは難しいですね。
まあ、もっとうまいこといえるようになったら、また書きます。