一重瞼から二重瞼に自力でなった話(大体不可能はない)
どうも。
こんばんは、なんぶです。
なむです。
今回は一重瞼から二重瞼になったはなしを語ろうと思います。
コンプレックスだった一重瞼から二重瞼に
もともとは一重瞼だった
わたくし、もともとはかなり瞼の重いひとえまぶたでした。
祖母、父、兄は、一重。
祖父は大きめの目の奥二重、母が並行二重でした。
しかし、母は高校生くらいまで、瞼の重い一重瞼でした。
そこで、どうやって二重になったのか聞きました。
すると、「鏡に向かって二重瞼になれ~」とずっと願掛けていたそうです。
すると、自然に社会人になるころにはきれいな二重となりました。
それを聞いた中学生だったわたくしもそうすることにしました。
二重瞼になるために試行錯誤
中学1年生の頃から二重瞼になりたかったです。
しかし、どうしても願っているだけじゃなれません。
そこで、インターネットを使って一重瞼から二重瞼になった人がいないか探します。
「二重瞼 自力」と検索。
多くの人や美容外科医までが自力ではならない、と答えているなか、
一重瞼から二重瞼になった人が2人いました。
写真の経過も詐称しているわけではなさそうでした。
そこで、その情報に勇気をもらい、
片っ端に「二重瞼になった方法」を試していきました。
あの当時は少女だったため少し危ない方法も試しました。
輪ゴムを頭につけて癖をつけるみたいな。
友人に「わたし、夏休み終わったころには二重瞼になるから!」といいましたが、友人は「無理でしょう」と誰も相手にしませんでした。
しかしやはり、夏休みが終わるころまでにはとうとう二重瞼になることはできませんでした。
ですが、二重瞼になれないとは一切思いませんでした。なぜなら母がなったからです。実物の成功事例がいたわけですから。
そして、あらやこれやと試しましたが、一向に効果が現れません。
それでも、「毎日マッサージと目の筋トレをする」というのが大切とあったので、やってみますが、わたくしの性格上毎日はやりません。
しかし、劣等感がよくわくので、そのたびにはトレーニングをしていました。
徐々に二重瞼になり始めた
すると、ゆっくりのんびりのペースでしたが、高校を卒業するころには二重瞼になっていきました。
特に左目が。
なぜ左目かというと、半信半疑でしたので、実験的に左目だけをしていました。
両目しておけばよかった…!
毎日徹底的ではありませんが、ゆるゆる続けたことで一重瞼から二重瞼になりました。
モテるようになりました
段違いにモテるようになりました。
いままでのはなんだったんだろうと。
目はやはり何を隠そう大事なのですね。
でも、アイプチはたまにつかいます
二重瞼になっても、幅が広い平行型なので、ちょっとハーフまではいきませんが、化粧をするとそっちよりになります。
ごくまれにそう聞かれまして、
自分的には日本顔できれいな顔立ちが大好きなので、奥二重瞼になるように調節しています。
自分にはそれがあっています。
久しぶりに会った友人の反応は?
「あなた、整形した?」とすごくすごく言われました。ですがしていませんし、アイプチもしなかったので、目を閉じて見せますが、やはりしていません…(笑)
成人式でも、「誰だあの人」と言われる具合でして
マサキの反応は?
マサキ=恋人の反応はどうでしょうか。
マサキくんはわたしが二重瞼になってからであったので、このことを隠してあとになって別れてしまうのも嫌でわりと初めの方に言いました。
すると、マサキくんは「ふ~ん。そうなんだ。」
反応薄っ…
それほど、何も感じていないみたいでした…
過去の写真を見せると「幼い時より今のほうがかわいいね」と率直でした。
ひとこといいますと、これを嫌がる男性もいます。
だから、わたくしはあえて早めに告げようと思いました。
内心怖かったですが、マサキくんはそういうの何も思わないみたいでした。
一重瞼のなごりがあります
二重瞼になったと言っても、寝起きや、泣いた次の日は一重瞼になってしまうことがあります。
まあ、そのうち治りますが…。
それも、理解してくれる恋人の存在は心広いなと思います。
自分に自信がついた
外見はもろとも違う意味での自信が大きくついた
外見の自信もそうですが、それより大きいのは、「この世にできないことはない」ということでした。
多くの人が一重瞼から二重瞼になれることを否定していたにもかかわらず、自分はなれると信じて疑わなかったのですが、それで本当に実現した。
というところに大きな自信がつきました。
この、一重瞼から二重瞼になったことが大きな自信となり、不可能なことはそうそうないのだと覚えました。
これは単なる外面の話ではなく自信につながることがらになったのです。
・他人に否定されても、不可能だと言われても、自分ができる見通しを持てば必ずできることが分かりました。
このときの「一重瞼から二重瞼になった件」でわたくしのメンタルが築かれたと思います。
外見だけの話では終わりませんでしたっていうことです。
ひとりでも信じてくれた人がいた
母がいつも「なれるよ~」といってくれました。
それは、母自身の経験からでもあります。
しかし、誰もが「無理でしょ」といっているなか、「できるでしょ」といってくれるひとだけに耳を傾けていました。
無理だと言ってくる人ばかりだったらあきらめてしまっていたことでしょう。
そしたら、今の自分はいないし、メンタルも築けていないしマサキくんとも出会っていなかったでしょう。
そうおもうと、この「できる」・「できない」という言葉や思い込みはかなり大きく人生を左右することが分かりますね。